ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

イースターと暦 その2

ユダヤの歴史と暦の変化
アブラハムがウルに生まれた時(紀元前2000年頃)、ウルという町のあったメソポタミアでは天保暦とよくにた太陰太陽暦を採用し、19年に7回閏月を入れていました。ただし、閏月は6月または12月のあとに同じ月をもう一度繰り返していたようです。
ヤコブの時代、エジプトに一族が移動します。エジプトは太陽暦、つまり明け方にシリウス星が現れる日を年の初めとして、1年を365日と4分の1日と計算するエジプト暦を採用していました。月の動きと関係なく1ヶ月を30日として12ヶ月、あまった5日は最後の月に追加し、1年を365日としていました。
旧約聖書レビ記では暦は1月、2月、3月、と数字で表されています。ここで用いられているのは太陰太陽暦と考えられます。レビ記23章に当時の暦が書かれています。第1の月を正月とし(西暦では3月頃)、第1月の14日(ほぼ満月)の夕が過越の祭です。第7の月を聖なる月とし、ここで新しい年を迎えます。つまりA.D.2011年9月28日がユダヤ暦の5771年(天地創造を紀元とする世界紀元)第6月の29日、そして次の日は5772年(世界紀元)第7月の1日となります。このように、第7月の1日をもって年が変わります。閏年は19年に7回あり、第12月のあとに閏12の月を追加しまていました。
余談ですが、第7の月の15日(西暦では9月頃)に仮庵の祭がもたれます。3月に二月堂のお水取り、8月に仙台の七夕、など月後(つきおく)れという言葉がありますが、ユダヤの場合は二月後(ふたつきおく)れと考えることができます。
王国崩壊、バビロン捕囚の時代やペルシャによる帰還時代、たとえばエステル記やゼカリヤ書の暦の記述は、バビロンの影響を受けたユダヤ暦が使われています。各月を「第○の月」とは呼ばず第1の月は「ニサンの月」、第7の月は「ティシュレーの月」、第12の月は「アダルの月」閏12の月は「ベアダルの月」とバビロニア風の名称がつけられました。
B.C.520年にエルサレム神殿の再建がはじまります。その後、B.C.300頃からエジプトのプトレマイオス朝ユダヤを支配します。その後、ローマが1年の長さを一定とするエジプトの暦を参考にして太陽の動きを基準としてユリウス暦を作ります。これはエジプト暦と同く、1年を365日と4分の1日としています。ただし、グレゴリウス暦にくらべ1年の長さが約11分長くなっていました。そしてB.C.22年にローマ皇帝アウグストはユリウス暦をエジプトに導入します。実はこのユリウス暦こそがイエス・キリスト使徒たちの時代に用いられていた公の暦です。ただし、ユダヤ人たちの祭りはユダヤ暦にそって行われていました。(続く)