ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

ため息と歴史

ジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」ではないですけれど、全てを投げ出して遠くへ行きたいと思ったことが何度かあります。でもそうすることができないで今まできています。
すべてを投げ出し遠くへいった人は、無責任といわれるかもしれません。でも自分を殺してしまうほどのことなら、投げ出すことも大切だとおもいます。投げ出して別のところで一からやり直そうなんてすごい決断をしないといけません。勇気のいることだと思います。
どこにも行かなかった、そこにとどまった、でもそれは強いからではありません。いやなにもできないで辛いこと、苦しいことがただ通り過ぎるのを待っただけなのかもしれません。大きな力の前にただ立ち尽くす無名の人々、名も知られぬ多くの庶民のためいきで、歴史はできていると思います。そして僕もその一人なのです。
かなり昔の事ですが、船村 徹さんがある番組の中で話した事が、いまでも頭の中にのこっています。友人の高野 公男さんに「歌謡曲は庶民のため息・・・それを集めて・・・云々」のような事をいわれたそうです。(ごめんなさい言葉を思いだせない)大きな声にならないうめき声や、ため息を拾い集め、それが歌となって多くの人の心に届くのだとこの話を聞いておもいました。
同じような歌詞にちょっとうんざりしているおっちゃんですが、歌手の皆さん、作詞家、作曲家の先生方、共感できるようなよい物を、こんな時代だからこそ、送り出してくださいね。お待ちしております。