ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

感謝なこと

昨日の続きなので散文です。
親父が精神的に参ってしまうと、間違いなく僕も参って共倒れになることは間違いありません。親父が気持ちの上で元気でいてくれたらなぁといつも思っています。僕自身、多くの高齢者と交流があるのですが、おばあちゃんたちは、旦那さんが亡くなっていても元気な方が多いです(ほとんど)。でも親父のようなおじいちゃんは、奥さんが亡くなったりするとほぼ何もできなくなってしまう方が多いです。男は情けないなぁといつも思わされます。
親父も80を超えているわけですから、新たな目標に向かってなんてそんなことは無理なはなしで、朝目覚めが良かった。ご飯がまあまあうまかった。テレビの番組が面白くてケラケラ笑う。ラジオのお話を聞いて泣いてみたり。そんな感情の動きがちょっとだけでもある毎日を穏やかに過ごしてくれればと思うのです。本人もそうしたいのですが、どうしてもセルフネグレストに向かう行動を取ろうとするので、そこが僕の神経をすり減らす原因でもあります。
でも、感謝なことはいっぱいあります。一人暮らしをしたことがありますのでわかるのですが、どうしても外食が多くなったり、自炊でも、冷凍物を電子レンジで調理したり、油物がおおくなったりします。親父の飯を作るために自炊といいますか2食分つくるのですが、自分が食べたい洋風なものは嫌がるので、魚類、お味噌汁、それに親父はあまり食べませんが、食べないと(食べさせないと)いけないので野菜は多めです。外食よりも安く、バランスの良い物が食べられることは感謝だなと思います。
また、僕が用事でどこかに出かけるとなると、今日の明日に予定が入ると対応できませんが、何日も前に連絡いただくと、この日は出かけるからねと何度も伝えます。カレーや関東煮(おでん)を作ったり、親父のリクエストでお寿司などのお弁当を買ってきたりして、食事の準備をして出かけるので、いろいろと計画的になります。
神戸の震災で仮設住宅に入られた方で、お花の世話や、ペットの世話をしていた人の孤独死が少なかったことが報告されていますが、花や犬と一緒にするとかわいそうですが、親父の面倒を観ることで、僕自身が守られていることもあります。
SNSとかBlogの書き込みができることも感謝です。だれが読んでくれているかわからないけれど、でも誰かが僕の状況を知ってくれている、特に手助けが無くても、知ってくれているということは心が軽くなります。ネットのつながりだけでなく、毎週のように友人たちと会って話ができる環境があることも感謝なことです。お互い似たような年齢です。認知症の親を抱えていたり、寝たきりの親を抱えていたり、見送ったり、障害のある子どもさんやお孫さんのこと、お互いがお互いのことを共有できる場があることも感謝です。
ああなればなぁ、こうなればなぁでなくて、今いるところで感謝できる心になっていけば、もっと楽に楽しく生きていけるなぁとおもいます。今いるところで感謝できるなら、それは次へのステップだと思いますし。環境などなにも変わらなくてもそこで満足できる心になれればそれはとても素晴らしいことだなぁと思います。
いろいろ大変ですけど、関西なら、難儀でっしゃろ、おおじょうしまっせ、なのですが、今のままでそれを感謝できる心になればなぁと願っています。人間一人でできることではありません、友人たちがいてくれること、問題を抱えた親父もいてくれること、みんな感謝です。本当に心から感謝だなぁと言えるとすれば、それは神様からの賜物でしょうね。