ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

東日本大震災が毎年あるような


ほぼ毎週金曜日の夜に、友人宅のあつまりに出かけます。今日は、娘さんのお産と子育てのお手伝いで四国から神戸にこられていたO畑さんが、妹さん家族のお手伝いのため約一年間四国に帰ることになっての送別会。といっても約一年後に戻ってくるのでしんみりした感じではなく、いつも通りワイワイガヤガヤと賑やかな雰囲気でした。
はじめは、おじさんたちの小さな集まりが、ある場所でできなくなり友人宅に移動してきたのです。お互い、仕事の事、子どもの事、親の介護の事、いろんな問題を抱えていますが、「教えない」、「批判しない」、「秘密を守る」という簡単なルールのなかで、お互いがお互いの問題を共有しているのです。それだけで心が軽くなるものなのですよね。4年前に誘われて僕もその輪の中にいれてもらました。そのうち奥さん方の集まり、子どもたち(高校大学生以上)の集まりもスタートしました。よくもまぁ性別も年齢も経歴もバラバラなメンバーが集まったものだと関心します。
送別会の途中ちょっとだけまじめな話がありました。ゴスペルをやっている友人が、いくつものクワイヤーを三ノ宮にあつめて東日本のために祈ろうよと企画し、多くの方が集まってくれたそうです。その中でちょっとだけ彼が話をしたそうです。その話を聞きました。
東日本大震災で死者と行方不明者をあわせると3万人を超える方がいきなりいなくなった大きな災害です。これはとても悲しい事なのですが、毎年同じような数の方々が自ら命を絶っている国でもあります。政令指定都市の様な大きな街で数千人が無くなっても気がつきません。でも小さな町の半分がいきなり居なくなるとはっきりわかるのです。考えてみれば3万人クラスの小さな市や町が毎年無くなっているような事なのですが、国中に自殺者が分散しているのでピンと来ないだけなのですよね。今この災害がこの国の危機的な状態に気づきなさいと目をさましてくれたと思います。この危機的状態をどのように克服するのか、為政者から僕たちのような小市民まで、上から下まで真剣に考えないともう明日はないのだなと感じています。
集まってお互いの事を話す、無関心でない、関係がある、「絆」これは大切なことだと思わされました。