ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

稲妻


昔の人は、雷が光ると稲が実るのだと考えていたそうですね。それで、稲の妻(配偶者)の意味で稲妻と名付けられたそうです。実りの時期と雷の季節の関係が、この様な言葉を生み出したのでしょう。(稲妻は、雷鳴がなく光だけの雷)

今は、お米を食べることが少ない生活をしています。それでもお米の国だなぁと思うことが多くあります。お米は元々税金で、お給料や、お金の役割ももっていました。ですから為政者は、稲がきちんと実るようにと暦を作り、季節や時を調べ、その時期を民に教えることにより、年貢の量が減らないように、民が食うに困らないようにしていたのですよね。(実際は、生かさず殺さずですが)
また代掻き、苗代作り、田植え、夏祭り、収穫の秋の祭り、など米の成長と神事が連動していて、今もその伝統が受け継がれています。また最初にとれた稲をお供えする事も、新嘗祭などの大切な行事として残っていますね。米で作った酒に酔う事は、神託を受けることだったようです。でもそれってただ酔ってるだけだと思うのですが・・・。

お米の国ですから四月始まり。麦が主食の欧米は九月始まり。麦の季節をあえて麦秋と書くのも、お米が中心だということの現れですよね。

ごはん、本当に食べる量が少なくなりました。親子三人で一日一合半くらい。戦時中の配給は、一人一日二合三勺、我が家は三人だから六合九勺、そんな量、絶対食べられません! 米穀通帳(写真)もあるけれど、もう身分証明にならないし・・・ってよく見ると昭和45年、えっ1970年まで使っていたのか。びっくり! お米のことも大切。でも食料全体、無駄にしないことと自給率を上げること、第一次産業を活性化すること、僕たちも、今まで以上に関心を持たないといけない時代になりましたね。