ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

白紙のままの宿題


自慢ではありませんが、小学校、中学校の9年間を通して、夏休みの宿題をほとんどしたことがありません。小学一年生の時は、親父とお袋がいろいろ手伝ってくれました。工作も親父用の歯磨き粉の入れ物が小型のカメラ程度の大きさなので、何かに付いていたレンズをつけ、カメラもどきを作り提出したのだけ覚えています。
夏休みの自由研究で作る工作は、ボリュームがあり、これさえ提出すれば、(見た目)ボリュームのないドリルやプリントをしなくても、体裁はつくと自主判断し、小学二年生から自由研究の工作だけに力を注ぎました。またそのうち書きますが、結構真剣に作りましたし、賞ももらったこともあります。へへ、
お袋は、学校に「ドリルを買っても全然しないのですから、勉強する子にだけ買わしてください。お金がむだになります」と抗議にいったそうです。先生は、「全員がするものです。だからみんな買わないといけないのです」といったら、お袋は「先生、業者からなんぼかもらってるのちゃうの」と聞くと、先生の顔が引きつったそうです。まぁ、昔のことですから、教材会社から、学校側にある程度のお礼はあったかもしれまません。宴会や何らかの経費にまわっていたかもしれませんね。(ここはあくまで想像です。)しかし、新品のドリルに名前だけ書いて提出するわけですから、親にしたらお金をドブに捨てているのと同じだったでしょうね。
8月の30日、31日は、夏休みの楽しい想い出を心に描きながら、机の上に置いた、いまさらどうすることもできないオール白紙のドリルを目の前にして、悶々とした時間をすごします。そして毎回の結論は、「腹をくくって学校に行こう。怒られるのは、国語のドリルなら国語の授業の1回目だけ。長くても2回目まで。それさえ耐えればOK。さぁ勇気をだして、元気に学校に行こう」と、こんな結論に達するのです。ルビコン川を渡るほどの勇気で前に進みました!
でも、いまから思えば無駄な時間を多く使ってしまったなぁと思います。勉強してたらよかったと、いまさら思いません。だって頭わるいからね。でも本だけでも沢山読んでいたらよかったなぁ。遊びの中に読書があったらよかったなと思います。
ちなみにさりげなく載っている写真は、夏休みの各学校の自由研究で、優秀なものが展示されているのを見学に行ったところを、写真に撮られたものです。朝日新聞のたぶん神戸版に載っているのをお袋が発見し、朝日新聞社さんに写真をもらったものです。