ピーターの航海日誌

アラ還おじさんの雑記Blog

玄関出たらアウトドア

僕がアウトドアに興味を持ったのは、小学生の時、オバン(祖母)に連れられて毎朝5時から、家の裏にある高取山に登ったことが始まりだとおもいます。(基本的に、夏休みと冬休みの期間、気が向けば期間延長していた。家についてから朝飯、登校時間までかなりあったので。)
高取山は「たかとりやま」なのですが、ほとんどの人が「たかとりさん」と親しみを込めて呼んでいます。(山と、関西ならではの、物にでも○○さんと親しみを込めて呼ぶ、ダブルミーニングかと思います。)「六甲おろし」で有名な六甲山系の西端の標高320米程度の山です。登山道には石段が整備されてあり、多くの人が毎日朝早くから登っています。だれかれなしに、「おはようございます」と挨拶しています。このちょっとした山登りと、学校や町の子ども会でいく林間学校などがアウトドアの入口でした。
すこし高い山に登りたい欲求がでてくると、親父がどこからか子ども用の登山靴を仕入れてきてくれました。それを履いて、ナップサック(懐かしい)に水筒、それに双眼鏡をもって、六甲山などのハイキングコースを何度も歩いたことをいまでも覚えています。親戚のおじさんが8ミリフィルムに収めていたので、あの映像が残っていたならなぁとちょっぴり残念です。
次は、近所のいとこたちと六甲山系の西端にある須磨アルプスに毎週の様に登りました。犬をつれて毎週おなじコースを歩きます。デンスケはなかったけど、生録のチャンスもあるかとラジカセを専用ショルダーケースにいれて持ち歩きました。結局ラジカセは、お弁当のときのBGM用機材になってしまいました。
そしてだめ押しで、夏休みに姫路の親戚のおばさんの家に遊びに行ったとき、雨がふると大変だからと、納屋のなかにテントをはってくれました。いとこのいとこ(おばさん家のいとこはかなり年上、いとこのいとこは同年代)たちとテントの中で暮らしたり、お昼は庭で火をおこして飯盒炊爨(長い間、"はんごうすいさん"の"はんごう"を"半合"だと思っていました)。ボンカレーを毎回食べました。あまりにおもしろかったので、次の年の夏休みには、近所のいとこと一緒に姫路のおばさんの家にやっかいになり、一緒に行ったいとこと、いとこのいとこたち(ああややこし)と遊びたおしました。
ちょうど国鉄が始めたディスカバージャパンという大々的な旅行のキャンペーンの時期でした。大きな横長のリュックサックを背負ってカニ族とよばれた若者たち(当時の僕たちからみたら、お兄ちゃんお姉ちゃんたち)が、あちらこちらで見かけられた時代です。バックパッカーなんておしゃれな呼び方の無かった時代です。背負子といいますか、バックパックキャリーに荷物を満載して歩くのが、僕の夢でした。横長のリュックサック、ベルトに付けることのできる水筒、双眼鏡、カメラ、専用ショルダーケースにいれたラジカセ、満載の荷物での山歩きが、いまでも荷物満載の鞄を持ち歩く原点かもしれません。
小学5年生から、ほぼ毎年キャンプ(手抜きのキャンプですが)をしてきました。と言いつつアウトドアライフから遠ざかっている昨今。弟は、「玄関出たらアウトドア」といっております。間違いではありません。町歩き適度からお気軽に再開したいなと思っています。